「幕末」と「舌鼓」~晩秋・京都ツアー
2006年 11月 25日
ふと思い立って京都へ行ってきた。
テーマは「幕末」と「舌鼓」。
基本的に経過に沿ってリポートします。
【1】
往路。
大阪まで出て、梅田から阪急に乗る。
予想はしていたがものすごい人。
そして、やはり予想どおり、かなりの人が桂で下車。
嵐山あたりへ紅葉狩りといったところだろう。
こちらは終点・河原町まで出て、東へ歩く。
四条大橋から鴨川沿いに少しだけ降り、また戻る。
昼時だったので、花見小路通近くの店に入る。
「久露葉亭 濁屋善」。
町家風のこじんまりした造り。
店内は畳敷きに円卓がいくつかとカウンター。
実は違う店に行く予定だったのだが、サンが「カレーが食べたい」と言ったので、
店先のメニューを見て、ここに決めた。
というわけで、サンは「京元祖生麩カレー」と「京風うどん」のセット。
その名のとおり、生麩が入っている。
私は「じゃこしそ御飯」と「京風うどん」のセット。
そして妻は「お昼の三都物語セット」。
「生湯葉」「生麩田楽」「青豆豆腐」に「じゃこしそ御飯」の組み合わせ。
成人男子としては、量はやや物足りないが、味は良かった。
店主の愛想が悪いのは、まあ「京都らしさ」ということにしておこう。
どこがどう京都らしいのかは聞かないように。
【2】
店を出て、さらに東へ。
目的地は「霊山歴史館」だ。
全国で唯一の幕末・明治維新の専門歴史博物館だとかで、
「幕末維新ミュージアム」との異名があるようだ。
ちょうど明日まで「龍馬と新選組の時代」という特別展が行われていた。
てか、それをネットで見つけたから来た、というのが本当のところだけど。
残念ながら、館内は撮影禁止だが、
唯一、坂本龍馬や土方歳三、徳川慶喜の等身大(?)写真と記念撮影ができるコーナーがある。
案内パネルによると土方は推定163cm、龍馬は172cmだそうだ。
龍馬は巨漢だったと言われるが、この推定身長が本当なら、当時としては確かにデカい。
それに引き換え、慶喜の小さいこと!
正確な数字を忘れてしまったが、たしか155cmぐらいだったと思う。
2年前の大河以来、この時代への思い入れが強くなった私としては、
一度は見ておきたい場所だったので、行けて良かった。
サンにとっては、あまり面白いとはいえない場所だったとは思うが、
館内にパソコンを使ったクイズができるコーナーがあり、
妻がサンを遊ばせてくれている間に、展示物をぐるっと一通り見てきた。
ちなみにそのクイズ、いくつかのジャンルに分かれており、
妻とサンは「新選組」に挑戦、何度目かで10問全問に正解。
アドレスを登録すると「賞状」が送られてくるという仕組みで、
帰宅後、メールをチェックしたら、ちゃんと届いていた。
これでサンも、晴れて(?)新選組隊士だ(笑)。
【3】
歴史館のすぐそばには、「霊山護国神社」がある。
その中に「明治維新史跡公園」という一帯があり、多くの幕末志士が眠っている。
龍馬と、盟友・中岡慎太郎の墓。
ここまでの山道を登ってくる途中に、参拝者によるメッセージが書かれた御影石のボードが
いくつも置かれているのだが、目に入るすべてが龍馬に対するものだった。
龍馬人気の根強さを感じながら辿り着くと、やはり多くの人が手を合わせに来ていた。
ちなみに、この近くに二人の銅像があるらしいが、私は見なかった。
龍馬の像いうたら、やはり桂浜に勝るものはない(と思う)きに。
桂小五郎(木戸孝允、写真右)と、妻・松子(幾松、同左)の墓。
龍馬・慎太郎の墓より、さらに高い場所にある。
そのせいか、訪れていた人は、ほとんどなかった。
別に松子だから嫌われているとかいうわけではないと思う←ヲイ
【4】
神社から坂道を下り、高台寺通(ねねの道)を経て下河原町通へ。
妻とサンにとっての本日のメインイベント、デザートタイムだ。
「京洋菓子司ジュヴァンセル 祇園店」。
昨夜、ネットでにわか勉強していて、私と妻の心に引っ掛かった。
引っ掛かったのはこれ↓
団子にわらび餅、求肥、パウンドケーキ、果物類などを…
グリーンの液体に入れて…
こんなふうにして食べる。すなわちフォンデュ。
これ、商品名としては「祇園フォンデュ」といい、件の緑色は抹茶チョコレート。
小さい時から(今でも小さいけど…)抹茶好きのサンなら、きっと喜ぶに違いない!
と思って本日のツアーに組み込んだわけですが、目論見どおりでした(笑)。
抹茶が濃い目で少し苦さがあったが、サンは「美味しい♪」を連発。
さらに、具材を食べ終わった後は、抹茶チョコが残った器にミルクを注いでくれる。
抹茶ミルクに目がないサンは大喜びでした。
抹茶チョコはかなり濃厚なので、けっこう腹いっぱいになります。
【5】
この後、すぐ近くの八坂神社に立ち寄り、サンが「恋みくじ」を引いたり(笑)、
さらに三条まで北上して、私は駆け足で史跡めぐりをしたりしたが、
そんな中やらそれ以前やらに撮った写真を並べてみる。
▲霊山護国神社にて。龍馬・慎太郎の墓に向かう途中、京の町を見下ろす。
▲高台寺月真院。
霊山護国神社から「ジュヴァンセル」へ向かう途中の高台寺通にて。
ここは新選組参謀だった伊東甲子太郎の一派が組を脱退し、
御陵衛士として活動していた時の拠点で、彼らは「高台寺党」とも呼ばれていた。
高台寺通は狭い小道ながら、人の往来は思いのほか激しく、
写真を撮るのがままならない状態だった。
私が道の反対側からカメラを構えていると、通行中の皆さんが足を止めてくれるのだが、
それがかえって申し訳なく、慌ててシャッターを切った。
帰宅してPCで拡大表示して確認したら、思い切りピンボケだった。残念。
▲八坂神社正面。この前で新選組副長助勤・谷三十郎が斬られたらしい。
「最近、ないがしろではない…ぐわっ!」←マニアねらい
▲入手した史跡地図によると、ここらに祇園会所があったらしい。
池田屋事件の夜、新選組隊士はここから不逞浪士を取り締まりに行った。
そして今日の夕刻、このコンビニで、サンはトイレを借りた。
▲その池田屋は三条通にあった。
よく知られているとおり、跡地にはパチンコ屋があり、店の脇に碑が建っている。
▲鴨川べりから三条大橋を臨む。
この橋の向こう側の河原に、江戸・板橋で斬首された近藤勇の首がさらされた。
私は両親が京都生まれ京都育ちなので、親戚も多く、
この風景も子供の頃に何度となく見たはずだが、
その風景が刻んだ歴史の一端を知る前と後とでは、やはり見え方が違う。
そんな場所が、この町にはもっといっぱいあるはずで、
だから私は、またこの町を訪れようと思う。
テーマは「幕末」と「舌鼓」。
基本的に経過に沿ってリポートします。
【1】
往路。
大阪まで出て、梅田から阪急に乗る。
予想はしていたがものすごい人。
そして、やはり予想どおり、かなりの人が桂で下車。
嵐山あたりへ紅葉狩りといったところだろう。
こちらは終点・河原町まで出て、東へ歩く。
四条大橋から鴨川沿いに少しだけ降り、また戻る。
昼時だったので、花見小路通近くの店に入る。
「久露葉亭 濁屋善」。
町家風のこじんまりした造り。
店内は畳敷きに円卓がいくつかとカウンター。
実は違う店に行く予定だったのだが、サンが「カレーが食べたい」と言ったので、
店先のメニューを見て、ここに決めた。
というわけで、サンは「京元祖生麩カレー」と「京風うどん」のセット。
その名のとおり、生麩が入っている。
私は「じゃこしそ御飯」と「京風うどん」のセット。
そして妻は「お昼の三都物語セット」。
「生湯葉」「生麩田楽」「青豆豆腐」に「じゃこしそ御飯」の組み合わせ。
成人男子としては、量はやや物足りないが、味は良かった。
店主の愛想が悪いのは、まあ「京都らしさ」ということにしておこう。
どこがどう京都らしいのかは聞かないように。
【2】
店を出て、さらに東へ。
目的地は「霊山歴史館」だ。
全国で唯一の幕末・明治維新の専門歴史博物館だとかで、
「幕末維新ミュージアム」との異名があるようだ。
ちょうど明日まで「龍馬と新選組の時代」という特別展が行われていた。
てか、それをネットで見つけたから来た、というのが本当のところだけど。
残念ながら、館内は撮影禁止だが、
唯一、坂本龍馬や土方歳三、徳川慶喜の等身大(?)写真と記念撮影ができるコーナーがある。
案内パネルによると土方は推定163cm、龍馬は172cmだそうだ。
龍馬は巨漢だったと言われるが、この推定身長が本当なら、当時としては確かにデカい。
それに引き換え、慶喜の小さいこと!
正確な数字を忘れてしまったが、たしか155cmぐらいだったと思う。
2年前の大河以来、この時代への思い入れが強くなった私としては、
一度は見ておきたい場所だったので、行けて良かった。
サンにとっては、あまり面白いとはいえない場所だったとは思うが、
館内にパソコンを使ったクイズができるコーナーがあり、
妻がサンを遊ばせてくれている間に、展示物をぐるっと一通り見てきた。
ちなみにそのクイズ、いくつかのジャンルに分かれており、
妻とサンは「新選組」に挑戦、何度目かで10問全問に正解。
アドレスを登録すると「賞状」が送られてくるという仕組みで、
帰宅後、メールをチェックしたら、ちゃんと届いていた。
これでサンも、晴れて(?)新選組隊士だ(笑)。
【3】
歴史館のすぐそばには、「霊山護国神社」がある。
その中に「明治維新史跡公園」という一帯があり、多くの幕末志士が眠っている。
龍馬と、盟友・中岡慎太郎の墓。
ここまでの山道を登ってくる途中に、参拝者によるメッセージが書かれた御影石のボードが
いくつも置かれているのだが、目に入るすべてが龍馬に対するものだった。
龍馬人気の根強さを感じながら辿り着くと、やはり多くの人が手を合わせに来ていた。
ちなみに、この近くに二人の銅像があるらしいが、私は見なかった。
龍馬の像いうたら、やはり桂浜に勝るものはない(と思う)きに。
桂小五郎(木戸孝允、写真右)と、妻・松子(幾松、同左)の墓。
龍馬・慎太郎の墓より、さらに高い場所にある。
そのせいか、訪れていた人は、ほとんどなかった。
別に松子だから嫌われているとかいうわけではないと思う←ヲイ
【4】
神社から坂道を下り、高台寺通(ねねの道)を経て下河原町通へ。
妻とサンにとっての本日のメインイベント、デザートタイムだ。
「京洋菓子司ジュヴァンセル 祇園店」。
昨夜、ネットでにわか勉強していて、私と妻の心に引っ掛かった。
引っ掛かったのはこれ↓
団子にわらび餅、求肥、パウンドケーキ、果物類などを…
グリーンの液体に入れて…
こんなふうにして食べる。すなわちフォンデュ。
これ、商品名としては「祇園フォンデュ」といい、件の緑色は抹茶チョコレート。
小さい時から(今でも小さいけど…)抹茶好きのサンなら、きっと喜ぶに違いない!
と思って本日のツアーに組み込んだわけですが、目論見どおりでした(笑)。
抹茶が濃い目で少し苦さがあったが、サンは「美味しい♪」を連発。
さらに、具材を食べ終わった後は、抹茶チョコが残った器にミルクを注いでくれる。
抹茶ミルクに目がないサンは大喜びでした。
抹茶チョコはかなり濃厚なので、けっこう腹いっぱいになります。
【5】
この後、すぐ近くの八坂神社に立ち寄り、サンが「恋みくじ」を引いたり(笑)、
さらに三条まで北上して、私は駆け足で史跡めぐりをしたりしたが、
そんな中やらそれ以前やらに撮った写真を並べてみる。
▲霊山護国神社にて。龍馬・慎太郎の墓に向かう途中、京の町を見下ろす。
▲高台寺月真院。
霊山護国神社から「ジュヴァンセル」へ向かう途中の高台寺通にて。
ここは新選組参謀だった伊東甲子太郎の一派が組を脱退し、
御陵衛士として活動していた時の拠点で、彼らは「高台寺党」とも呼ばれていた。
高台寺通は狭い小道ながら、人の往来は思いのほか激しく、
写真を撮るのがままならない状態だった。
私が道の反対側からカメラを構えていると、通行中の皆さんが足を止めてくれるのだが、
それがかえって申し訳なく、慌ててシャッターを切った。
帰宅してPCで拡大表示して確認したら、思い切りピンボケだった。残念。
▲八坂神社正面。この前で新選組副長助勤・谷三十郎が斬られたらしい。
「最近、ないがしろではない…ぐわっ!」←マニアねらい
▲入手した史跡地図によると、ここらに祇園会所があったらしい。
池田屋事件の夜、新選組隊士はここから不逞浪士を取り締まりに行った。
そして今日の夕刻、このコンビニで、サンはトイレを借りた。
▲その池田屋は三条通にあった。
よく知られているとおり、跡地にはパチンコ屋があり、店の脇に碑が建っている。
▲鴨川べりから三条大橋を臨む。
この橋の向こう側の河原に、江戸・板橋で斬首された近藤勇の首がさらされた。
私は両親が京都生まれ京都育ちなので、親戚も多く、
この風景も子供の頃に何度となく見たはずだが、
その風景が刻んだ歴史の一端を知る前と後とでは、やはり見え方が違う。
そんな場所が、この町にはもっといっぱいあるはずで、
だから私は、またこの町を訪れようと思う。
by hibinag
| 2006-11-25 23:02
| 09.紀行・リポート