喪中の効力
2004年 11月 29日
マンションの下の郵便受けに欠礼状(いわゆる喪中ハガキ)が届いていた。
そう言えば、そろそろそんな季節だなあ。
そんなことをぼんやり思いつつ、エレベーターに乗りながら何げに見てみた。
それは妻に宛てられたものだったが、そこには
祖母○○、九十歳にて永眠致しました
とあった。
う~む。
私はしばし考え込んだ。
90歳といえば大往生ではないか。
ご親族にとって、死そのものは残念なことには違いないだろうが、
それほどの長寿を全うされたことは、ある意味、喜ばしいことではないのか?
しかしそれでも、新年の挨拶はご法度なのだろうか?
実は、欠礼状については前々から引っ掛かるものがあった。
今回のケースは赴きが異なると思うが、血縁者が亡くなったら、
それがどういった人であろうと、欠礼せねばならぬのだろうか。
それが相当に遠い親戚であっても?
もう何十年も行き来のない間柄であっても?
普段、ろくに喪に服していなくても?
いかなる場合も有効期限は1年間?
年賀状は形式的なものだ。
そして欠礼状もまた、形式的なものだ。
我々は所詮、そうした形式の縛りから完全に逃れることは難しい。
だが、同様に形式的であるのなら、楽しくて前向き方向の方がいいなあ。
ちょっと簡単に考え過ぎかもしれんけど。
もちろん、期間とか範囲とか、
服喪のレンジは多分に個別的感覚に基づくものであるから、
他所様のことをとやかく言うつもりはないし、言えるものでもない。
そして、それもまた、「常識」というある種の形式に囚われた
考え方なのかもなあと気づいて一人苦笑する晩秋の夜。
寝よう。
【追記】
こちらによると、
「配偶者、兄弟、直系の血族、配偶者の両親、祖父母が亡くなった場合」
「故人が二親等よりも遠くで別世帯であれば、新年を祝うことも多い」
とのこと。
また、こちらでは、
「祖父母、配偶者の祖父母、配偶者の兄弟姉妹を亡くした場合には、
故人と同居していなければ欠礼としないことが多」いそうで、さらに、
「喪の期間の基準となっているは、明治時代に作られた忌服規定」
「両親が死んだときで1年、夫1年、妻3カ月、子供・兄弟は3カ月、
祖父母は5カ月、叔父叔母は3カ月」
「しかし現代では細かい規定でなく、
欠礼は一律に亡くなってから1年としているのが普通」
とのことだった。
ただ、大往生であるかどうかは、勿論どこにも書かれていない(私が見た限り)。
これは多分に私の感覚、というより欠礼状を見た時にふと思ったことにすぎず、
私自身が血縁者であれば、まるで違うことを思っただろう。
ちなみに、本編で書いた故人が亡くなられたのは2月であり、
上記の「明治時代に作られた忌服規定」に従えば、喪は明けていることになる。
あえて書くが、私は欠礼がおかしいと言いたいわけではない。
ただ、個人の感覚によって様々に変わるはずのものだから、
必ずしも一律にやる必要はないんじゃないのかなあ、と思ったにすぎない。
ちなみに私、自分の結婚式の1週間前に祖母を亡くしたにもかかわらず、
結婚したことと、それに伴う住所変更などを知らせるために、
思い切り年賀状を出したのだが(親族は除く)、これは明らかに反則である(笑)。
そう言えば、そろそろそんな季節だなあ。
そんなことをぼんやり思いつつ、エレベーターに乗りながら何げに見てみた。
それは妻に宛てられたものだったが、そこには
祖母○○、九十歳にて永眠致しました
とあった。
う~む。
私はしばし考え込んだ。
90歳といえば大往生ではないか。
ご親族にとって、死そのものは残念なことには違いないだろうが、
それほどの長寿を全うされたことは、ある意味、喜ばしいことではないのか?
しかしそれでも、新年の挨拶はご法度なのだろうか?
実は、欠礼状については前々から引っ掛かるものがあった。
今回のケースは赴きが異なると思うが、血縁者が亡くなったら、
それがどういった人であろうと、欠礼せねばならぬのだろうか。
それが相当に遠い親戚であっても?
もう何十年も行き来のない間柄であっても?
普段、ろくに喪に服していなくても?
いかなる場合も有効期限は1年間?
年賀状は形式的なものだ。
そして欠礼状もまた、形式的なものだ。
我々は所詮、そうした形式の縛りから完全に逃れることは難しい。
だが、同様に形式的であるのなら、楽しくて前向き方向の方がいいなあ。
ちょっと簡単に考え過ぎかもしれんけど。
もちろん、期間とか範囲とか、
服喪のレンジは多分に個別的感覚に基づくものであるから、
他所様のことをとやかく言うつもりはないし、言えるものでもない。
そして、それもまた、「常識」というある種の形式に囚われた
考え方なのかもなあと気づいて一人苦笑する晩秋の夜。
寝よう。
【追記】
こちらによると、
「配偶者、兄弟、直系の血族、配偶者の両親、祖父母が亡くなった場合」
「故人が二親等よりも遠くで別世帯であれば、新年を祝うことも多い」
とのこと。
また、こちらでは、
「祖父母、配偶者の祖父母、配偶者の兄弟姉妹を亡くした場合には、
故人と同居していなければ欠礼としないことが多」いそうで、さらに、
「喪の期間の基準となっているは、明治時代に作られた忌服規定」
「両親が死んだときで1年、夫1年、妻3カ月、子供・兄弟は3カ月、
祖父母は5カ月、叔父叔母は3カ月」
「しかし現代では細かい規定でなく、
欠礼は一律に亡くなってから1年としているのが普通」
とのことだった。
ただ、大往生であるかどうかは、勿論どこにも書かれていない(私が見た限り)。
これは多分に私の感覚、というより欠礼状を見た時にふと思ったことにすぎず、
私自身が血縁者であれば、まるで違うことを思っただろう。
ちなみに、本編で書いた故人が亡くなられたのは2月であり、
上記の「明治時代に作られた忌服規定」に従えば、喪は明けていることになる。
あえて書くが、私は欠礼がおかしいと言いたいわけではない。
ただ、個人の感覚によって様々に変わるはずのものだから、
必ずしも一律にやる必要はないんじゃないのかなあ、と思ったにすぎない。
ちなみに私、自分の結婚式の1週間前に祖母を亡くしたにもかかわらず、
結婚したことと、それに伴う住所変更などを知らせるために、
思い切り年賀状を出したのだが(親族は除く)、これは明らかに反則である(笑)。
by hibinag
| 2004-11-29 23:18
| 01.日常雑記