慌てなくていい。急がなくていい。前を向いて、少しずつ。地に足つけて、一歩ずつ。


by hibinag
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カテゴリ:03.主張( 36 )

朝、通勤路にセミの亡骸が一つ二つ。
今、耳が痛くなるほど泣き続けている一団からも、
そろそろ生命を全うした者が出始めている。

俗にセミは7年を土の中で過ごし、地上に出ると
7日間で息絶えると言われる。
まあ、細かい数字やら信憑性やらは定かでないが、
割りとそんなふうに聞く。と思う。

ともかく、「地下でじっとしてる期間に比べて、地上で活動する期間が短すぎる」
ということなわけだが、それをもって、セミの一生は
「儚い、可哀想」というイメージでとらえられがちだ。と思う。

だが、本当にそうだろうか。
もともと彼らにとっては、それが「当たり前」なんであって、
地上で姿を晒す時間が短いのは、むしろ彼らにはいいことかもしれない。
いや、それ以前に、それが「短い」と、いったい誰が決めたのか。

まあ、当たり前で仕方のないことなんだろうけど、
それは結局、人間スタンダードな感覚でしかない。
セミにしてみりゃ、地上に這い出す時は、まさに死への旅立ちなわけで、
そりゃもう、地中の仲間に遺書の一つも書きたい心境かもしれぬ。

子供でいられる土の中の日々は快適かもしれない。
別に彼らは自由を奪われているわけではない。
いよいよ「地上への階段」を昇る時の彼らの覚悟はいかばかりか…。
それを人間どもが、軽々しく判定していいものか…。

てなことを、道端に転がる亡骸と、耳をつんざく大音響のレクイエムの中で、
ふと思ってみたりしたのだった。
どうやら暑さでやられたのか俺。
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by hibinag | 2005-08-02 10:12 | 03.主張

禁止だけが手じゃない

読売新聞に「無料レジ袋の禁止案、ゴミ減量で環境省検討」との記事。

いいことだ。とは思う。
けど不便になるな、正直。
買い物時の不便もだけど、ゴミ捨て用として、あの袋は重宝なのに。

環境問題を語る時によく言われることだが、
環境保護の名の下に取り組まれる様々な方策の中で、
今の生活スタイルをものすごく不便にしたり窮屈にしてしまうものは、
どこかに問題を含んでおり、考える余地があるのだと思う。

これの場合、要は習慣、慣れの問題だから、
最初はみんなで不便な思いをしましょう、ということでいいのかもしれないが、
むしろ私が疑問に思うのは、何でプラスチックのレジ袋にこだわるのかという点。
問題は「レジ袋」ではなく、それが「プラスチックであること」ではないの?

ならば、プラスチックじゃなく紙製(もちろん再生紙使用)にするとか、
違う素材で作ればええんちゃうん?
それで少々、経費がかかるんなら、
生協みたいに1袋5円とか金を取ればいいわけで。

レジで精算する時に、袋を利用する人には代金を上乗せすればいい。
もちろん、買い物袋持参の人からは取らない。
最近は「袋はご入り用ですか?」と聞いてくれるコンビニも増えてきたから、
スーパーのレジでもそれぐらいは全然できるはず。

あるいは何か新しい素材が生まれるかもしれないし。
そっち方向のほうが、経済活動的にも明るいやん。
禁止にしちゃったら、今レジ袋作ってる業者はどうなる?
それじゃあ、いろんな意味で本質がごまかされるような気がするんですが。
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by hibinag | 2005-05-18 16:30 | 03.主張
一昨日のニュースより。共同通信の記事より引用。

男性社員が育児休業を取った企業に奨励金を支払う国の助成制度の利用が、
2003年度の導入以来、2年間で1社もなかったことが21日、分かった。

この制度は少子化対策の柱の一つとして始まったが、同年度の男性の育休取得率は0.44%と、男性の取得がまったく進んでいない実態を反映、04年度で廃止された。


(中略)

廃止された育児休業取得促進奨励金制度は、男性社員、女性社員それぞれ1人以上が育休を取得することなどを条件に、申請によって、1企業1回に限り70万円が支給される。

申請した企業はあったものの、男性の育児休業の実績がなかったため、認められなかった。


行政機関の的外れな施策が枚挙にいとまがないのは言わずもがなだが、
中でも少子化対策は本当にヒドイといつも思う。
これもその一つ。
有休取得もままならないような職場が多い(と思われる)この国で、
こんなものが有効に機能すると本気で思っていたのだろうか。

長年、勤労こそ美徳とされてきたこの国では、
こと企業社会においては、その精神がいまだに根強く残っていると思われる。
そういう文化を持つこの社会で、いくら上(企業)が申請したところで、
下(現場)で休むことが普通に許される雰囲気は、なかなか醸成されない。
まして、奨励などされるはずもない。と思うのだ。

要するに、そうした職場において、まずやらなければならないのは、
育休が「文化」として受け入れられるようなムードを醸成することなのだ。
土地を耕してもいないのに、種を撒いたって果実は実らない。

いつものパターンで申し訳ないが、制度は作ればいいというものではない。
机上で立てたニーズのない策など、邪魔になるだけだ。
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by hibinag | 2005-04-23 12:39 | 03.主張

機械的な思考

喫煙は「ニコチン依存症」という病気。日本循環器学会などの専門家が、
喫煙を病気ととらえて禁煙治療を行う手引書を作成しました。
吸えないとイライラするなど、喫煙習慣は、確かに病気かもしれません。


(中略)

職場での喫煙は、労働力の損失です。例えば喫煙室で1日10本を吸うとします。
1本に5分間とすると、1日に50分、1カ月(実働22日)に約18.3時間。
年間では、約1カ月分に当たる労働時間を喫煙室で過ごすことになります。



某マスメディア系メルマガの巻頭言。
前半の真偽や是非は横に置くとして、後半の物言いがどうにも気に入らない。

この筆者は人間を労働のための機械だとでも思っているのだろうか。
でなければ、こういう数字を列挙し、「だから時間の無駄遣い」などと
結論づけるのは現実を見ない暴論、いや妄論だとすぐに気づくはずだ。

いや、人間だけでなく、機械でさえも、「休憩」は必要だ。
それを無駄呼ばわりできるからには、よほど強靭な体力と精神力の持ち主
なのだろうが、仮にそうだとしても「損失」とは何事か。

例えばデスクワーク主体の人がいるとする。
で、その人が机を離れることは「労働力の損失」だと筆者は言い切る。

てことは何か? トイレに行くのも「損失」か?
メシを食うのも? お茶を飲むのも? 気分転換に深呼吸するのも?
つーことは、つまる話、「寝るな」ってことか?


馬鹿者。


筆者は非喫煙者、というより嫌煙者なのだろう。
それは主義だから構わないが、いやしくもマスコミに籍を置き、
自社メディアの名を借りて情報を発信するのなら、
こういう偏った事象のとらえ方は厳に戒めてもらいたい。

だいたい、喫煙室をナメちゃあいかん。
そこで重要な話を聞いたり、ヒントをつかんだりすることだってあり得る。
まあ、嫌煙者ならそこまで知恵が回らないのかもしれないけど、
非喫煙者の私ですら、その程度の想像力はあるよ。
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by hibinag | 2005-03-30 16:53 | 03.主張

心の抜け穴

このところ、あちこちで個人情報保護法全面施行が話題になっているが、
言ってみれば、法律ができる(=罰せられる)から慌ててるようなもんで、
それ自体どうなんだという気がしないでもない。
まあ、何もしないよりは全然いいけど。

ただ、毎日新聞なんかの記事にも「どんな対策を施しても盗まれる」とあるように、
情報漏洩は絶対になくならない。
結局、情報を扱うのは「人」だから。
いつも言うことだけど、いくらルールを決めたところで、
運用がうまくいかなければ100%にはならない。

人が扱う以上、ミスはつきもの。
意図していなくても漏れることだってある。
だが、そういう「事故」は横に置くとしても、漏洩の根絶はありえない。

「悪いヤツ」がいるから?
うむ、それは言うまでもないことだが、私はむしろ、
「情報」を軽く扱いがちな人が少なくないことこそヤバイと思う。

例えばメールアドレス。
複数の人間に同じことをメールで伝えたい時、
信じられないことだが、平気でccする人がいまだにいる。
その「複数の人間」がすべて知り合いなら何も問題はないが、
全くの他人同士のアドレスを見事に晒してくれる人がいるのだ。

しかも、そういうことをする人が、PCやケータイなどの機械や
メールなどのソフトや通信事情に疎い人かといえば、必ずしもそうではない。
実際、私は、某大手電機系メーカーに勤務し、
その手のことにもそこそこ詳しい(と思っていた)知人から、
赤の他人のメアドが山のように列記されたメールをもらったことが何度かある。

これはもう、意識が低いと言わざるを得ないわけで、
これをなくさない限り、個人情報など漏れ放題だろう。
法の施行は無意味だとは言わないが、それだけで穴は塞げない。
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by hibinag | 2005-03-29 22:55 | 03.主張

さんぼアゲイン

差別批判で絶版となっていた「ちびくろ・さんぼ」が復刊するらしい。

「ちびくろ・さんぼ」は小さい頃に親しんだ絵本だ。
黒人差別を助長するとかいうことで絶版になっていたのだが、
それが復刊されるという話。

私は正直、この話がなぜ差別に結び付くのか分からない。
上のリンク先には「ちびくろ」というタイトルがいけないとあるが、
「小さな黒人(の男の子)」と言っているだけで、
例えば「黒人はみんなチビだ」とか言っているわけではない。

それとも「くろ」がイカンのか? なんで?
黒いものは「くろ」としか表現できないよ?
事実が「黒」なのに「白」とか言うほうが、
よほど「黒」に対する差別意識がある
ように思うけど?

新聞記事には、「内容」が問題であるように書かれているものもある。
他の関連サイトもいくつか見てみたが、私なりにまとめてみると、
どうも「黒人を画一的に見ること」がいけない、ということらしい。
物語のディテールを忘れてしまったので何とも言えないが、
例えば「黒人=貧しい」とか、そういうことを想起させるのだろうか?

そうであれば確かに問題なしとは言えないけど、
子供の頃、私はこの話を読んで、そんな思いに至った記憶はない。
例えば、貧しさの描写であれば、日本の昔話にだっていくらでも出てくる。
しかし、だからと言って、「日本人=貧しい」とはならないし、
登場人物がいい人だからと言って「日本人=みんないい人」ともならない。

つまりは「お話」なのだ。物語の設定なのだ。
たまたま主人公が黒人の男の子だというだけの。
それを子供たちが素直に読んで、
「これが黒人の生活のすべて」だと思うのだろうか?

とはいえ、差別をどうとらえるかは難しい。
ついこの前も、BBSでTORIさんと「激論」を交わした。
その時、私は
「誰かが不快な思いをする可能性がある言葉は使うべきでない」と書いた。
そういう意味では、「ちびくろ・さんぼ」の物語も同様のことが言えるのであり、
絶版となった事実も、ある面では仕方なかったのかと思う。

しかしそれでも、私はこの文学作品の復刊を支持する。
この姿勢は、先のBBSでの態度と矛盾するように見えるかもしれない。
だが、歴史観を含む「現実」に沿った事どもの中から出てくるものと、
ファンタジーの世界で起こっているものとは
明確に区別しておく必要がある
と思う。
そんなところまで「助長」だとか言い出したら、
収拾がつかなくなると思うんだけどなあ。

私が黒人ではないから、そんなことが言えるのだろうか?
けど、日本人だって、海外の映画なんかでは、
必要以上に残虐だったり、カネに汚かったりするし、
メガネをかけて首からカメラをぶら下げて歯を出して
キョロキョロしながら歩いていたりする。

しかし、それにいちいち噛み付くなんてのは野暮というもの。
「ああ、やっぱそんなふうに見られとるんやなあ」と静かに苦笑するか、
「大して調べもしないでイージーに作ったなあ」と憐れみの目で見ていればよい(笑)。
それに、そんな人も確かにいるし。

どうも話がそれているようだが、要するに。

差別の問題は、もちろんきちんと考えるべきだし、とらえるべき。それは大前提。
しかし、創作物にまでいちいちそんな理屈を持ち込むのは反対だ。
あまりにもヒドイというものなら別だろうけど、何でもかんでもというのは感心しない。

つまり、「事実」に純然と含まれる差別感ではなくて、
この場合は、読み手の受け止め方ではないのかなあ。
こじつけようと思えば何とでも言えるわけだし、言い出すとキリがない。
そのために、その創作物が内包する本質(面白さとか感動)が
葬られることの方がよほど不幸
なことだと思うのですが。

「ちびくろ・さんぼ」の本質は差別問題か? 違うでしょう?
子供の頃、絵本でこの物語に接した私の中には、
虎がぐるぐる回ってバターになる場面のエキサイティングな感じや、
さんぼや家族がお腹いっぱいホットケーキを食べたという幸福感しか残っていない。
それでええやん。なんかマズい?

サンは近頃、文字(平仮名)を読む能力が格段に上がってきており、
自分で絵本を読むようになってきた。
「ちびくろ・さんぼ」が復刊されたら、買い与えてみたい。
その時、彼はどんな反応をするだろうか。
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by hibinag | 2005-03-03 23:05 | 03.主張
前々から書こうと思っていた話題。
とはいえ、業務提携だのTOBだの拒否権だの、本筋の話をやったところで、
私自身が破綻するのが目に見えているので(笑)、それは横へ置いておく。

で、私はどっち派でもないのだけれど。
既製の概念や体制に風穴を開けようというのは、大いに結構。
だが、何にでも相応しい「やり方」がある。

今のメディアに付いて回るしがらみを「古いもの」「くだらないもの」と
とらえること自体は何の問題もないのだが、だからといって、
直ちにそれを無視していいことにはならないだろう。

「悪法も法」。それが私の考え方の原則だ。
何の利益もない、あるいは害にさえなり得るひどいルールであっても、
「だから俺は守らない」と自分勝手に決めることは、
その社会に生きる以上、残念ながら「掟破り」でしかない。
悪法だと思うなら、まずそれを改めるとかなくすとか、
そっち方向にパワーを放つのが筋ではないかと思っている。

「そんなこと言ったって、そう簡単には変えられねえよ」と悪態をつくのは、
厳しく言えば「逃げ」であり、簡単に変わらないから何もしないのは、
消極的に受け入れていることにほかならない。
身近な「大人」にちょびっと反抗することや、
夜の校舎の窓ガラスを割って歩くようなことを
「自由」という大仰な言い換えで悦に入ることが罷り通ってしまったりするので、
こういう物言いに拒否反応を起こす人はたぶん多いんだろうし、
かく言う私も、大方の所では「放置による甘受」をしてしまっているわけだが。

堀江氏への批判は、やっていること自体よりも、その「やり方」に向いている。
だから、「カネさえあれば何でもできる」というのは論外にしても、
もうちょっとうまくやるべきじゃないかなあと思う。
去年、旧近鉄球団の買収に名乗りをあげた時、球界の「おエラ方」から
総スカンを食らった図を繰り返しているような気がする。
そのあたり、見通しが甘いというか学習していないというか。
それでなくても、あのビジュアルと喋り方は損してると思うし。
大きなお世話か。

既製の枠組みを壊そうと思えば、まずその枠の中に入るべし。
つまり、既製の土俵にあえて乗るしかないわけで、
外から壊そうとすると「侵略」呼ばわりされかねない。
そうでなくても、旧勢力ってのは、そういう理屈で責めるものだしね。
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by hibinag | 2005-02-23 22:26 | 03.主張

みんな我が道を行く

ネットで「接触事故4人に1人 『危険な歩道』裏付け 自転車利用者」との記事発見。
記事には、放置自転車が歩道を狭めているケースが取り上げられており、
確かにそういうことも多く、それはもう、論ずるまでもなく問題なのだけど、
歩行者の歩き方も、どうかと思うことがよくある。

これは歩道に限ったことではないけど、無駄に広がったりダラダラ歩いたり。
ゆっくり歩くのが必ずしも悪いのではないし、速く歩きたくても歩けない人もいるから、
仕方ないケースもあるのだけど、あまりにも周りとペース違うやろ、と思うことも多々。
最近は「ケータイ見ながら牛歩戦術」(戦術かい)もすっかり見慣れてしまった。

それどころか往来の真ん中で立ち止まったり座り込んだり、
挙げたらキリがないのだけれど、最近は歩道と言わず地下街といわず、
歩きにくいことこの上ない。
もう、それだけでかなりストレスですわ。

ちょっと話がそれ気味だが、自転車の側に問題があることもあるよなあ。
つーか、こういう時、よく疑問に思うのだけれど、
そもそも自転車は歩道を通るべきものなのか?
道交法上、どうなのか知らないけど、「車」である以上、
本来は車道を走るのが正解なんじゃないのかなあ、とも思う。
何か、そんな話聞いたことがあるような気もするし…違うかな?

とはいえ、自動車がビュンビュン飛ばしていて、なおかつ路駐しまくりの現状じゃ、
車道を走れってのも、これまた無理な注文だしなあ。
インフラ的には自転車専用道路を増やす、とかいうのが現実的なんだろうけど、
その状況でけたたましくベルを鳴らしながら歩道を通るチャリンコをよく見たりするし、
結局は「マナー」「気配り」って所に戻ってきてしまう。
毎度同じ結論で我ながら面白くないのだけれど。
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by hibinag | 2004-08-18 20:19 | 03.主張
「パパの夏休みの宿題は家族サービスね。」


やかましい。



いや、そういうコピーの広告(確か某百貨店)を電車の中で見たわけなんですが。

私ゃどーも、「家族サービス」という言い回しがキライでね。
なんで家族同士で「サービス」なのか。
しかも、サービスする側は常にオヤジ(夫・父)ってのは、どういうことだ?
つーか、そもそも、ヨメや子供と一緒に出掛けて遊んだり
買い物したりメシ食ったりすることは「サービス」なのか?

だいたい、「サービス」などといえば聞こえはいいが、実態は義務・強制だ。
ヨメさんが「たまの休みぐらいサービスしてよ」と言ったら、
それは「買い物行くから運転しろ」「荷物持たんかい!」「子守せえや!」
という意味である。
サービスを受ける側のほうがエラそうなのだ。カネも払わないくせに。
それが、この広告じゃ、とうとうガキにまで言われる始末。
しかも「宿題」だと!? このクチかぁーーーっ!!<沸騰

さらに悪いことには、そう言われて納得するオヤジが多いっぽいんだな、これがまた。
私の知り合いにも「休日は家族サービスだから…」などと頭をかくのがいるが、
普段、よほど悪いことをしているに違いないとか勘ぐってほしいのか。

つーわけで、私は家族サービスはしません。
といっても、それは家族をないがしろにする、ということではない。
遊ぶ時は積極的に遊ぶし、買い物にも出掛けるし、たまにはメシだって食いに行く。
一方、自分の時間を確保するなら、それはそれできっちりやる。

要はバランス、メリハリ。そして自らの意思の表出が不可欠。
「家族サービス」なんて言葉を平気で口にするのは、
家族と一緒は煩わしいってのが本心だからじゃないの?
あるいは「サービスすること」でしか家族と繋がれないのか?

こんな言葉をのさばらす社会の在り方(まだまだ会社主義)もヘンだし、
分かってて乗っかるヨメ・子供もイカンし、
放置(あるいは利用)するオヤジどももバツ。
つーか、こういうコピーが広告として「成り立ってる」ところが、
すでに日本人としてすげー恥ずかしいんですが。
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by hibinag | 2004-07-23 20:30 | 03.主張

親子の情景

昨日、午後からサンを公園に連れて行った。
ビニールのソフトバットとボールで野球ごっこだ。
滑り台と水飲み場があるだけの小さな公園。
ほかに人は誰もいなかったので安心だ。

暫くして、サンより少し大きい女の子がやって来て、滑り台で遊び始めた。
その様子を見て、サンも野球ごっこ終了。滑り台へGO。
私も近くで相手になってやっていると、その女の子が話しかけてきた。

最初は、サンダルがストッパーになって巧く滑れないサンに、
「足を上げたら滑れるよ」とか言っていたのだが、そのうち私に
「一昨日、誕生日だったの」とか盛んに話しかけてくるので、
「いくつになったん?」と聞くと「6歳」との答え。
幼稚園に通っていて、来年から小学校に上がるらしい。

サンの相手をしつつ、そんな何でもない会話をしながら、
私は妙な違和感を覚えていた。
少し離れた所にあったベンチに、その女の子の父親が座っていたからだ。
いや、もう少し正確に言えば、
その父親がずっと携帯電話の画面を見続けていたからだ。
滑り台に背を向けて座り、一言も話さず、もちろん女の子に視線を送ることもなく。

子供を公園などに連れて来ている親が、子供を放ったらかしにして
ケータイメールに没頭する姿はよく見かける。
私はそういう場面を目にするたびに、その親たちは勿体ないことをしていると思う。

確かに「子供のお守り」と思えば面倒だし、
限られた中から「自分の時間」を捻出したい気持ちも分からないではないけれど、
彼らは、公園に来てまで一体何をやっているのか。
今の子供の姿は今しか見ることができないのに。
監督責任を果たしていないという問題もさることながら、
今必要な触れ合いやコミュニケーションを放棄することが、
近い将来、後悔の種になるかもしれないとは思わないのだろうか。
ましてや女の子の父親であれば尚更ではないのか?

父親の丸い背中を見ながら取り留めもなくそんなことを考えていると、
女の子がぽつりと言った。

「お母さんは…、お父さんと喧嘩してるみたいなの」

転勤族を想起させる女の子の関東ことばが、曇り始めた空と相俟って、
何とも言えない重さを抱えているように聞こえた。
30度を超える夏の昼下がりなのに、私は少し寒くなった。
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by hibinag | 2004-07-05 20:35 | 03.主張