慌てなくていい。急がなくていい。前を向いて、少しずつ。地に足つけて、一歩ずつ。


by hibinag
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

キャッチボールの明日はどっちだ

サンが野球チームに入った関係もあり、
最近、休みの日にキャッチボールをする機会が多くなってきた。
で、今日読んで、ちょっと気になった記事。


■ひと:松原徹さん キャッチボール復活を呼びかける(毎日新聞)

 めっきり見かけなくなった街中のキャッチボール。
 これを復活させようと、日本プロ野球選手会が各地で普及イベントを開いている。
 大人も子供も現役選手やOBの球を受け、投げることで、野球に親しんでもらうのが狙いだ。
 「今の親世代は子供時代にキャッチボールをしていないから、自分の子供に教えられない。
 自分でボールを握ることからスタートです」


最後のくだり「今の親世代は子供時代にキャッチボールをしていない」は、
ちょっと言いすぎな感じもして、じゃあ俺は何世代なんだと思わせられるが、
こうした基本的な「体を使った遊び」の機会が増えるのはいいことだと思う。
ただ、「復活」という言葉が使われるほど「衰退」しているのかと思うと、
一野球ファンとして、元・一野球少年として寂しい限りだ。

 2年前の冬、選手会理事長の小久保裕紀選手(現ソフトバンク)が、
 東京都内の空き地で子供とキャッチボールをしていたら、住民の通報で警察官が来た。
 喜劇のような出来事が、気軽にボールが投げられる環境作りを考えるきっかけとなる。


この小久保選手の話は衝撃的だった。
キャッチボールで警察に通報! 考えられない。
こういう人はおそらく、路駐の車や駅前の放置自転車などは目もくれず、
ただひたすら自らの生活環境だとか住居建造物だとかを守るのに躍起になるのだろう。

私も以前、書いたことがあるが、イマドキの公園は、ほとんどが「ボール遊び禁止」である。
件のエントリには「キャッチボールまで禁止というのは記憶にない」と書いているが、
「ボール遊び」を広義に捉えれば、キャッチボールもダメということになりかねない。
だから子供たちは、あるいは親子は、キャッチボールする場所がない。
これが記事冒頭の「めっきり見かけなくなった」ことの原因の一つだろう。

私が最近、サンとキャッチボールをしている近所の公園は、
児童公園のような遊具が一切なく、細長い敷地にベンチが少しあるだけのシンプルなもので、
おそらく緑地あるいはオープンスペース確保のための街中の空間であり、
それはまさに「空き地」と称するに相応しいたたずまいだ。

私が去年、ここをたまたま見つけ、その後も何度か利用している最大の理由は、
他にほとんど利用者がいない、つまり他人に迷惑をかけることがないからだ。
一度だけ、やはりキャッチボールに興じる別の親子を見たことがあるが、
基本的に、人はほとんど来ない。
つまり、この場所の存在自体、あまり知られていない可能性が高い。

敷地の脇には民家が並んでいるが、別に大声を出すわけでもないし、
キャッチボール程度なら、何ら迷惑をかけるようなことはないと思う。
実際、苦情を言われたこともない。
(だからと言って、迷惑をかけていないという証拠にはならないのが癪ではあるが)

しかし、ここにもお約束のように「ボールあそびはやめましょう」という看板がある。
管理者(行政)の立場からすると、そうしておいた方が楽だからだろう。
くだらない。

先日、社会の抑止力という話を書いたが、
それが十分に機能しない分、公的に抑え込まざるを得なくなっているのが今の世の中だ。
そこに「地域社会」などという温かみは存在しない。
たかがキャッチボールに目くじらを立てなければならない社会。
そんな社会に育てられる子供の日常は、果たして楽しいのだろうか?
[PR]
by hibinag | 2007-12-06 12:33 | 02.一般ニュース